この記事では「ずいずいずっころばし」の意味や怖いと言われる理由について解説しています。
「ずいずいずっころばし」は、日本の伝統的なわらべうたの一つで、幼い頃から親しんだ人も多いでしょう。
しかし、歌詞の内容には不思議で意味深長な表現が含まれており、一部では恐怖や不気味さを感じさせる解釈が存在します。
このわらべうたには、伝統的な背景から怖い解釈まで、さまざまな見方があるのです。
「ずいずいずっころばし」とは?
以下、わらべうた「ずいずいずっころばし」です。
ずいずいずっころばし
ごまみそずい
茶壺に追われて
とっぴんしゃん
抜けたら、どんどこしょ
俵のねずみが
米食ってちゅう、
ちゅうちゅうちゅう
おっとさんがよんでも、
おっかさんがよんでも、
行きっこなしよ
井戸のまわりで、
お茶碗欠いたのだぁれ
前半部分
「ずいずいずっころばし ごまみそずい」は、庶民が胡麻味噌をすっている様子を表しています。
そして「茶壺に追われて とっぴんしゃん」は、お茶壺道中の行列が迫ってくるのを知って、急いで戸を閉める音を表現しています。
「抜けたら、どんどこしょ」は、行列が通り過ぎた後の安堵感を描写しています。
中盤部分
「俵のねずみが米食ってちゅう」は、家の中に隠れている間に聞こえるネズミの音を表現しています。
後半部分
「おっとさんがよんでも、おっかさんがよんでも、行きっこなしよ」は、お茶壺道中が通過する間は絶対に外に出てはいけないという警告を意味しています。
また、「井戸のまわりで、お茶碗欠いたのだぁれ」は、喉が渇いた子供たちが井戸の周りに集まり、水を飲もうとしてお茶碗を割ってしまった様子を表現しています。
「ずいずいずっころばし」の意味は怖いのか?
江戸時代の「お茶壺道中」との関係
一般的に「ずいずいずっころばし」は、江戸時代のお茶壺道中に関連するものとされています。
このお茶壺道中とは、宇治から江戸へお茶を運ぶ行列であり、その行列は非常に威圧的な存在だったと伝えられています。
行列が近づくと、一般の人々は戸を閉め、家の中に隠れたとされます。
この状況が、「茶壺に追われてトッピンシャン」という歌詞に表れているというのが、伝統的な解釈の一つです。
お茶壺道中の恐怖
お茶壺道中の行列を横切った者は、場合によってはその場で切り殺されることもあったとされます。そのため「お父さんが呼んでも お母さんが呼んでも 行きっこなあしよ」という歌詞は、外に出てはいけない警告を意味していると考えられています。
ずいずいずっころばしに隠された怖い解釈
危険な行列の影響
「ずいずいずっころばし」が描写するのは、お茶壺道中という単なる行事ではなく、社会的に恐怖を与える存在であった可能性もあります。
この行列が通る際には、子供たちも家の中に隠れなければならず、万が一行列に遭遇すると、逃げられないという恐怖が付きまといました。
この背景から、このわらべうたはただの遊び歌ではなく、恐怖を内包しているとする説が浮かび上がります。
歌詞に秘められた性的な暗示
また、「ずいずいずっころばし」の歌詞には、性的な意味が含まれているという説もあります。
例えば、「茶壺」が女性器を暗示しているとの解釈があり、他の部分でも隠語的な表現が含まれている可能性が指摘されています。
この説に基づくと、単なる子供の遊び歌としてではなく、成人の会話を耳にした子供が真似をした結果生まれた歌と考えられるかもしれません。
その他の怖い解釈
わらべうたには、「ずいずいずっころばし」以外にも恐怖を連想させる解釈が多く存在します。
「あぶくたった煮え立った」が人食い鬼を描写する歌とされることや、「かごめかごめ」が流産を暗示していると解釈されることがあるように、遊び歌であってもその裏に不吉な意味を秘めているとする説は根強くあります。
「ずいずいずっころばし」の意味は怖い?まとめ
「ずいずいずっころばし」の歌詞の意味については、お茶壺道中との関係を強調する伝統的な解釈や、恐怖や性的な暗示を含むとされる異なる解釈が存在します。
しかし、これらの説は後から付け加えられたものであり、元々は単なる言葉遊びとして生まれた可能性も高いと考えられます。
長年、子供の遊び歌として親しまれてきた「ずいずいずっころばし」の真の意味は、今もなお謎に包まれていると言えるでしょう。