アンパンマンの生みの親として知られる「やなせたかし」の人生は、幼少期から晩年に至るまで波乱に満ちていました。
幼くして父を亡くし、母との別れ、戦争体験、そして弟の戦死など、数々の苦難を経験し、そのすべてが「アンパンマン」という作品の誕生に繋がっています。
本記事では、やなせたかしの家族構成と歴史、そしてアンパンマン誕生の背景について詳しく解説します。
やなせたかしの家族構成と歴史
- 父・柳瀬清との別れ
- 母・柳瀬登喜との複雑な関係
- 祖母・山内鉄の溺愛
- 弟・千尋との絆と戦争の悲劇
- 妻・小松暢との出会いと支え
父・柳瀬清との別れ
やなせたかしの父・柳瀬清は、上海に留学し、日本郵便や講談社を経て朝日新聞の記者となった人物でした。
優しく、休日には必ず子供たちを遊びに連れていく良き父親でした。
しかし、やなせが4歳の時、父は特派員として赴任した中国の広東で33歳の若さで客死してしまいます。
この出来事は、やなせの人生に大きな影響を与えることとなりました。
母・柳瀬登喜との複雑な関係
やなせたかしの母・柳瀬登喜は、高知県の大地主の娘として生まれました。
夫の死後、登喜は高知市に移り住み、洋裁をしながら生活を支えました。
美人で派手好きな性格の登喜は、しつけには厳しかったものの、映画や芝居が大好きで、よくやなせを連れて映画館に行っていたそうです。
しかし、やなせが小学2年生の時、母は再婚し、やなせと弟を残して家を出てしまいます。
この別れは、やなせの心に深い傷を残しました。
祖母・山内鉄の溺愛
母が留守がちな中、やなせの面倒を見たのが祖母の山内鉄でした。
鉄はやなせを溺愛し、過保護に育てました。
やなせが大きくなっても添い寝をするなど、非常に密接な関係を保っていました。
この祖母の愛情は、やなせの人格形成に大きな影響を与えたと考えられます。
弟・千尋との絆と戦争の悲劇
やなせには2歳年下の弟・千尋がいました。
父の死後、千尋は伯父夫婦に養子として引き取られましたが、兄弟の絆は深く、仲の良い関係を保っていました。
しかし、千尋は戦争で特攻隊として出撃し、フィリピン沖で戦死してしまいます。
この弟の死は、やなせに深い悲しみをもたらし、後の創作活動にも大きな影響を与えることとなりました。
妻・小松暢との出会いと支え
やなせは1947年、高知新聞社で働いていた小松暢と出会い、結婚します。
小松暢はやなせの漫画家としての活動を全面的に支援し、「収入がなければ私が働いて食べさせるから」と言って励ましました。
二人の間に子供はいませんでしたが、アンパンマンを自分たちの子供のように考えていたそうです。
やなせたかしがアンパンマンを作った理由
- 従軍経験と飢えの記憶
- 従来のヒーロー像への疑問
- アンパンマンの誕生
従軍経験と飢えの記憶
やなせの人生を大きく変えたのは、戦争体験でした。
1941年に徴兵され、中国戦線に従軍したやなせは、福州から上海へ1000キロの行軍を経験しました。
その間、戦友の死を目の当たりにし、自身もマラリアに罹患。さらに、極度の飢餓状態に陥りました。
この経験から、やなせは「人生で一番つらいことは食べられないこと」という考えを持つようになります。
この思いが、後のアンパンマン誕生につながっていくのです。
従来のヒーロー像への疑問
戦争中、プロパガンダ制作にも関わったやなせは、「正義」という概念に疑問を抱くようになりました。
従来のヒーローは派手な格好をし、強い力や武器を持ちながら「正義」を口にするものの、飢えに苦しむ人々を助けることはありませんでした。
やなせは、「正義の味方であれば、まず、食べさせること。飢えを助ける。」という新しいヒーロー像を思い描くようになります。
アンパンマンの誕生
50代までやなせは売れない作家でした。
自身も空腹を経験する中で、「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたといいます。
この思いが、「困っている人に食べ物を届けるヒーロー」というアンパンマンの発想につながりました。
1973年、54歳でやなせは絵本『あんぱんまん』を出版。
1988年にはテレビアニメが放送開始し、アンパンマンは子どもたちに愛されるキャラクターとなりました。
やなせたかしの家族構成と歴史 まとめ
- やなせたかしは5歳で父を亡くし、家族が離散するという経験をした
- 母の再婚により伯父の家で育ち、疎外感を感じながら過ごした
- 祖母の山内鉄はやなせを溺愛していた
- 2歳年下の弟・千尋を22歳で戦争で失い、深い悲しみを経験した
- 妻・小松暢との出会いが、やなせの創作活動を支える大きな力となった
- 波乱万丈の人生経験が、「アンパンマン」をはじめとする作品の原点となった