ダンプ松本と長与千種は、1980年代の日本女子プロレスを代表する存在であり、かつては深い友情で結ばれながらも、後に激しいライバル関係へと発展しました。
本記事では、二人の初期の友情、壮絶な抗争、そして和解を経て現在に至るまでの関係の変化を詳しく解説します。
ダンプ松本と長与千種の仲はどう変わった? 友情から激闘、そして和解へ
ダンプ松本と長与千種の関係
ダンプ松本(本名:松本香)と長与千種は、1980年代の日本女子プロレスを代表する選手です。
二人はプロレスの世界に同時に入門し、最初は同じ境遇の仲間として友情を築きましたが、その後はライバルとして激しい戦いを繰り広げました。
その関係は、初期の友情からライバル関係、そして和解と友情の再生という大きな変化をたどっていきます。
初期の友情
ダンプ松本と長与千種は1980年に全日本女子プロレスに同期入門しました。
当時、二人は「落ちこぼれ」と呼ばれ、B班という新人グループに所属していました。同じく厳しい訓練を受け、地方巡業では居残り練習をするなどして、友情を育んでいました。
プロレスの世界で苦労を共にし、互いに励まし合う関係だったのです。
激闘のライバル時代
1984年ごろから、二人の関係は大きく変わりました。
ダンプ松本はヒール(悪役)として「極悪同盟」を結成し、長与千種はベビーフェイス(善玉)として「クラッシュ・ギャルズ」を率い、プロレス界の大スターとなります。
この対立は、ファンの間でも大きな話題となり、1980年代の女子プロレスを象徴する抗争となりました。
特に1985年の「敗者髪切りデスマッチ」は、プロレス史に残る名勝負として知られています。この試合では、敗者が髪を切られるという厳しいルールのもと、二人は激闘を繰り広げました。
結果として、長与千種が敗れ、髪を切られるという衝撃的なシーンがファンの記憶に強く残りました。
また、ダンプ松本は「当時、本当に千種が嫌いだった」と後に語っていますが、その背後にはプロレス団体の会長が二人に対して互いの悪口を吹き込むことで、感情を煽っていたという事実もありました。
リングの外でも、二人のライバル関係は激しさを増していたのです。
和解と友情
1988年、ダンプ松本の引退試合が二人の関係に大きな変化をもたらしました。
この引退試合では、急遽ダンプ松本と長与千種がタッグを組むエキシビションマッチが行われ、ファンを驚かせました。
試合後、ダンプ松本はクラッシュ・ギャルズのファンに対して「今まで長与千種とライオネス飛鳥をいじめてすみませんでした」と謝罪し、二人は和解しました。
この和解をきっかけに、二人は再び友情を取り戻します。引退後も、イベントやテレビ番組で共演することが増え、2021年にはダンプ松本の還暦祝いで再会しました。以下は当時の二人の会話です。
ダンプ「ありがとねー。泣けるねー、ホントに。愛だよねえ」
出典:バトルニュース
長与「もうさあ」
ダンプ「泣きたいよね」
長与「みんな、そばにいるんだよ」
ダンプ「なに言ってんの、急に」(ウルウル)
長与「そばにいるんだよ。寂しくないんだよ(拍手)。寂しくないの。いつだっているの」
ダンプ「(ウルウル)化粧してるから、極悪でいないとダメなんだよ」
長与「今日ぐらい素直になっちゃってもいいだろ?」
ダンプ「ウゥ~ン(うめくような泣き声)」
長与「みんなそばにいる。おいで」
その後も二人はSNSなどを通じて交流を続け、互いに尊敬し合う姿が見られています。
ダンプ松本と長与千種の仲はどう変わった? 友情から激闘、そして和解へ まとめ
ダンプ松本と長与千種の関係は、友情からライバル関係へ、そして再び和解と友情へと発展していきました。
この変化は、女子プロレス界だけでなく、日本のエンターテインメント史においても重要な出来事です。
彼女たちの抗争とその後の和解は、多くのファンに深い印象を与え、今でも語り継がれています。