ダンプ松本さんは、プロレスの悪役レスラーとして知られていましたが、実際は非常に優しい人柄だったと言われています。
この記事では、ダンプ松本さんがいい人だと考えられる理由やエピソードをいくつか紹介します。
ダンプ松本いい人伝説!家族愛と後輩への思いやり秘話
父と母、家族への思いやり
ダンプ松本さんは、家族との深い絆を大切にしており、特に母親に対する愛情が強いです。
女子プロレスラーになった理由の一つは、苦労している母親を楽にさせたいという思いからでした。デビューから5年後には、母親に新築の家をプレゼントしました。
一方で、父親との関係は複雑でした。父親は定職に就かず、酒やギャンブルで家族に多くの苦労をかけていました。
ダンプ松本さんは母親を守るため、父親を懲らしめたいと考えていましたが、87歳で父親が入院した際、長年の憎しみが消え、優しい気持ちを持つようになりました。
最終的には、父親との和解を果たし、55年ぶりにツーショット写真を撮ることもできました。
これらのエピソードから、ダンプ松本さんが複雑な家庭環境の中で家族との絆を大事にし、特に母親への深い愛情を持ち続けていたことがわかります。
プロレスラーとしての過酷な生活の中でも、常に家族を思いやる優しさが見て取れます。
仲間を大切にしていた
「極悪同盟」を率いていた時も、「五箇条の約束」を作り仲間を大切にしていたことがわかるエピソードがあります。
以下が「五箇条の約束」です。
1. 仲間の悪口を言わない
2. 陰口を言わない
3. ナイショ話をしない
4. 告げ口をしない
5. 待たせる人より待つ人になる
この約束は、過去にいじめや挫折を経験したメンバーが安心して活動できる環境を作るために設けられました。
ダンプ松本は、理不尽ないじめを経験したことから、後輩たちには同じ思いをさせたくないという強い意志を持っていました。
後輩のブル中野が涙した
ダンプ松本さんとブル中野さんの関係には心温まるエピソードがあります。
かつて、二人は意見の相違や方向性の違いからギクシャクしていた時期がありました。そのある日、新幹線で隣同士の席になった際、ブルさんは耐えられずに寝たふりをしました。
その時、ダンプさんはそっとブルさんに上着をかけてあげました。この思いやりにブルさんは感動し、涙を流したといいます。
また、ブル中野さんは「極悪同盟」時代にダンプさんに対して生意気な態度をとったこともあったと自身で語っていますが、ダンプさんはそんな態度にも寛容で、後輩を嫌いになることはありませんでした。
このようなエピソードから、ダンプ松本さんの優しさと後輩への思いやりが感じられます。意見の相違があっても、相手を思いやる気持ちを持ち続けるダンプさんの人柄が伝わってきます。
脱走事件
1987年の春に起きた、ブル中野や北斗晶ら若手選手の集団脱走事件は、ダンプ松本の優しさが際立ったエピソードです。
年長選手からの厳しい指導や理不尽ないじめに耐えかねて、彼女たちは青森の地方興行中に脱走を図りましたが、翌日全日本女子プロレスの寮に戻り、先輩たちに見つからないよう身を潜めていました。
そんな中で彼女たちを最初に見つけたのがダンプ松本でした。
後輩たちは叱責を覚悟していましたが、ダンプさんは厳しい言葉を投げかけるどころか「おかえり、大丈夫だから」と優しく声をかけました。この言葉に後輩たちは安心し、皆で抱き合って泣いたといいます。
このエピソードは、ダンプ松本がただの厳しいリーダーではなく、自分の経験から後輩の苦しみを理解し、思いやりを持って接していたことを示しています。
かつて自分も同じような理不尽ないじめを経験していた彼女は、後輩たちの感情に共感し、彼女たちの心の支えとなっていたことが、この一件からもよくわかります。
ダンプ松本はいい人 まとめ
この記事のまとめです。ダンプ松本が良い人であることがわかる事実は以下の通りです。
- 母親の苦労を見て女子プロレスラーを目指し、デビュー5年後に新築の家をプレゼントした。
- 父親への憎しみを解消し、和解している。
- 集団脱走事件では、叱責せずに後輩たちを優しく迎え入れた。
- 自身のいじめ経験から後輩の気持ちを理解し、共感を示している。
- 生意気な後輩にも嫌悪感を持たず寛容に接した。