「どんぐりころころ」は日本の代表的な童謡で、子どもから大人まで親しまれている歌ですが、その歌詞を深く考察すると、一部の人々から「怖い」とされる解釈が存在します。
本記事では、歌詞に隠された怖い意味や背景、さらに幻の3番と呼ばれる追加歌詞について詳しく解説します。
どんぐりころころの歌詞は怖い?(理由)
- 孤独感とホームシックを象徴する歌詞
- どじょうの存在が不気味?
- 結末の未解決感が不安を増幅
- 幻の3番が存在する
1. 孤独感とホームシックを象徴する歌詞

「どんぐりころころ」の歌詞には、
どんぐりが池に落ちてしまい、どじょうと遊ぶものの最終的に山が恋しくなって泣き出す
というストーリーが描かれています。
この展開は、子どもが見知らぬ場所に置かれた孤独感や、故郷や家族への思いを象徴していると考えられます。
どんぐりころころ どんぶりこ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て こんにちは
坊ちゃん一緒に 遊びましょう
どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた
孤独感の象徴
どんぐりは本来、山という自然の中で過ごす存在です。
それが池に落ちてしまうという状況は、環境の変化に戸惑い、孤独を感じる様子を表しています。
特に2番で「お山が恋しい」と泣くどんぐりの姿は、子どもが親元を離れたときの不安や寂しさに例えられます。
ホームシックの暗示
「やっぱりお山が恋しい」というフレーズは、子どもが新しい環境に馴染めない感情を如実に表しています。
この部分に共感する大人も多く、心に切なさを呼び起こします。
2. どじょうの存在が不気味?

どじょうは、池に落ちて困ったどんぐりに「今日は坊ちゃん一緒に遊びましょう」と声をかける存在です。
一見すると友好的ですが、その行動にはどこか曖昧さがあり、不気味さを感じさせる要素があります。
善意か、それとも裏の意図か?
どじょうの行動を「助けたい」という善意と捉えることもできますが、「遊びましょう」という誘い方は、どんぐりを利用しているようにも見えます。
この曖昧さが、どじょうを不気味な存在として描く要因となっています。
誘拐や監禁を連想?
「坊ちゃん」という呼び方や、どんぐりを遊びに誘う場面を深読みすると、どじょうの行動を誘拐犯になぞらえる解釈も存在します。
これは都市伝説的な解釈ではありますが、歌詞の曖昧さがこうした想像を膨らませる余地を残しています。
3. 結末の未解決感が不安を増幅
「どんぐりころころ」は2番で終わり、どんぐりが泣いてどじょうが困るという場面で物語が閉じられます。
この結末には解決がなく、どんぐりが山に帰れるのかどうかが描かれていません。
不完全なストーリー
「どんぐりころころ」の作詞者は青木存義(あおき ながよし)です。
彼は、あえて3番を作らなかった理由として「子どもたちに自由に続きを考えてほしい」という意図を語っています。
このため、原曲には結末が明示されていません。
結末が曖昧なため、どんぐりの未来を想像することになります。これが歌に不安感を与えるポイントの一つです。
子どもに自由な発想を促す意図がある一方で、物語の未解決感はどこか怖さを伴います。
幻の3番が存在する
「どんぐりころころ」には後に追加された「幻の3番」と呼ばれる歌詞があります。
幻の3番は、1986年に作曲家の岩河三郎によって作られました。
岩河は、童謡の持つ優しさや母性的な愛情を伝えるためにこの歌詞を作成しました。
どんぐりころころ 泣いてたら
仲良しこりすが とんできて
落ち葉にくるんで おんぶして
急いでお山に 連れてった
この3番では、泣いているどんぐりを仲良しのリスが助けに来て、落ち葉にくるんで山に連れて帰るというハッピーエンドが描かれています。
この追加歌詞は、元の歌詞の悲しい結末を補完し、安心感を与える内容となっています。
どんぐりころころの歌詞は怖い?まとめ
- 孤独感とホームシック:「どんぐりころころ」は、どんぐりの孤独や故郷への思いを描いた歌詞が特徴。
- どじょうの不気味さ:どじょうの行動は善意とも不気味ともとれる曖昧さがある。
- 未解決の結末:2番で物語が終わるため、不安感を残す結末となっている。
- 幻の3番:ハッピーエンドとして後に追加された歌詞が存在し、安心感を補完している。
- 多様な解釈:都市伝説的な深読みや、子どもの感情を描く普遍性が歌の魅力を高めている。
「どんぐりころころ」は単なる童謡ではなく、深い感情やテーマを持つ作品です。
その曖昧さが想像力を刺激し、世代を超えて愛され続ける理由となっています。